I want...

I don't care what people say about me, I just do what I want.
人々が言っていることを気にせずに、私は自分がやりたいことするよ。

続けるためには大義が必要

大義は、重要な意義の意味であり、そこから君主に対して持つべき忠義などの意味となっている。大儀は、大きな儀式の意味から、面倒くさいことの意味となっている。
大義とは、もともとの意味は「大きな意義」のことであるが、人として守るべき道義のことを言い、転じて君主に対して守るべき忠義や親に対して持つべき孝行などの意味を持つ。「大義名分」の大義もこれであり、行動や決断におけるよりどころとなる道理のことを言う。


今更ですが「大義」と「大儀」の違いを調べた。今回は「何かをするための根拠」という意味合いから「大義」の方がただしかったのね。
「たいぎであった」は「大儀」なのかぁ。

辛いことを乗り越えるためには、どうしても大義が必要なんです。


口先だけで「従業員を幸せにすることだ」なんて言っていると

都合悪くなると、すぐに大儀をなかったものにしてしまい、自分の感情に流されるだけの、弱い経営者になってしまう。
経営は辛いことばかりなんです。
しかも、小さい会社にはたくさんやらなくてはいけないことがあって、たくさん勉強することがあって、たくさんのストレスがあって、たくさん仕事をしなければ、追いつけないことが山のようにあるんです。

だから、本当にすべてを投げうってでも、困難を乗り越えるだけの「大義」が必要なんです。
「従業員を幸せにするぞ!」
「日本一の会社になるぞ!」
なんでも構いません。

嫌なことから逃げ出さない理由を持たなければ、経営者なんて、いつでもサボることができるので、すぐダメになってしまうんです。
そして、その大義は、従業員、一人ひとりがしっかりと理解して、周囲の全ての人が納得しなくてはいけません。
なぜならば、その大義を従業員が理解していなければ、全ての行動がバラバラになってしまうからです。
そして、従業員も一生懸命、その大義のために働かなくなってしまうかす。
だから、
「有名になりたい」
「お金持ちになりたい」
「女の子にもてたい」
という私腹を肥やす大義は、どうしても従業員がついてこなくなってします。

自分自身も納得して、従業員も納得してもらえる筋の通った「大儀」というものがなければ、すべて薄っぺらなものになってしまいます。
社員教育も、毎日の朝礼も、一生懸命書いているブログも、大義がなければ、全てが“無駄”になってしまうのです。
そうならないためにも、自分が命がけで働くための「大儀」を見つけましょう。
大義さえ見つけることができれば、どんなに辛い苦難も乗り越えられるようになるので、必ずその経営者は成功します!そうすると、さらに面白くなります。

やれない理由を探している

弱い自分がいて、心のどこかで、自分の逃げ道を作っていて、「やらなければいけない」とわかっていても「やれない理由を探している」
これでは、いつまで経ってもダメな私ねぇ~
私は、働くことが嫌いなので、どうして働かなきゃいけないんだろうなんて、くだらないことを長年考えているわけですが・・・
行き着く先は「生活のため」とか「子どものため」とかという理由なんですね。でも、今の生活で十分満足しているので、今の生活が続くなら、今のままでイイヤって思ってしまって、結局、やらなくても大丈夫って思ってしまうわけですよ。
家を継ごうと思ったことだって「親のため」というか「親に認められたかった」だけなので、結局、親は私を必要としていないんだなって気づいたら、家を継がなくていいじゃんって思って継がない選択をする。すると、今度は親が引き留めにかかる。引き留められると必要とされているの?と勘違いして戻ってきて……の繰り返し。今の私は「親に認められたかった」だけなんだなって気づいてしまったので、そんな理由で家を継ぐのはダメだなって気づいてしまった。だから、夫が継がないって言ったときも、それもいいんじゃない?もう、私のために家を継がなくてもいいよ。好きなことをしようよと、夫を引き留めることはしなかった。
たぶん、親自身が、家を継がせることってどういうことなのかはわかっていないのだと思う。どうして、家を継いでもらいたいの?って何度も確認したけれど、回答はなし。その答えがないのなら、父が死ぬまで第一線で頑張る方がいいよ。だって、親に求められたかったからという理由で家を継ごうとしていた不純な動機だったと気づいてしまった私からすると、社長職に就いていた理由って、自分の存在価値のためだったとしか思えないんだもの。社長職を退いたとたん、自分の価値観が無価値と感じてしまって、自分の存在価値を認めさせるために、ア~ダ、コ~ダと言ってくるようじゃお互い不幸だと思うんだよね。
結局、口出ししないという約束で、夫が事業継承することになったけれど……でも、口出しできなくなった分、父の背中がますます小さく見えてしまって、娘として、それはそれで、なんだか、悲しかったな。
だけど、周りから「お父さんは、言いたいことも我慢して言わないでいるんだから、お父さんの気持ちもわかってあげれば?」なんてことを言われると、ああ、また、外で、言いたいことを言わないいい会長アピールしてきたんだなって(笑)
先日の全体会議の時も、会長として、何を言うのかな?って思って見守っていたけれど、自分の存在価値をアピールしていた。それなら、死ぬまで現役を全うした方が良かったのにと、そんな父の姿は見たくなかったよ。お互いが不幸だよ。
父にとって会社を興した大義がわかっていないから、こういうことになっちゃったんだろうな。本当の大義は「自分の価値」だと思うけれど、そんな自分勝手なことは言えないから「家族のため」とか「社員のため」とか、そういうことを言っていたんだと思う。
私の大義は「親に私の価値を認めさせるため」だったわけだけれど、結局、私自身が家を継いだわけでもないので、すでに、私の大義はないわけで。新しい大義を見つけないとなぁと思いつつ、新しい大義が見つからない。だって、今の状態がすっごく居心地がいいんだもの。
夫の大義はなんだろうな。。。怖くて聞けない。いつか聞いてみたい。

本気で大義を考えてみる。

会社が存在する理由・・・これは、私が父に投げかけた質問だったな。結局、私自身に投げかけられるのか・・・
なぜ、この会社は、稼がなくてはいけないのか?
なぜ、この会社は、世に存在しなくてはいけないのか?
なぜ、この会社で、働かなくてはいけないのか?
まあ、今までも考えては見たけれど、どれも理由としては、弱すぎた。だから、続けることができないんだよね。
「生活に困らない程度のお金が欲しい」 ←今のままでいいから頑張らなくていいや
「子供の幸せのため」 ← 別にお金に困っていないので、今のままでいいから、仕事をする意欲にはつながらないし、仕事で嫌なことがあると、その嫌なことから目を背けてしまう
なんとなく、楽しく、なんとなく、不自由なく、なんとなく、なんとなく
アバウトだ(笑)

そう言えば、夫が仕事を継ぐ前に言っていたこと「従業員を幸せにすること」が社長の仕事だと思うんだよねって。今もそう思っているのかな?
スタッフを幸せにするためには、給料を上げる必要があります。
そして、給料をあげるためには、売上を伸ばさなくてはいけません。
その売上を伸ばすためには何をすればいいのか?
だから
・ブログを毎日書かなくてはいけない。
・お客さんが毎日気持ちよく来店してもらうために掃除をしなくてはいけい。
・接客の時に大きな声で笑顔で挨拶をしなくてはいけない。
・企画を早目に提案して、DMを出さなくてはいけない。
“大義”さえ明確になれば、
何をやらなくてはいけないのか、自ずと見えてくるものなのです。
しかし、この大義がないと、
・「なんでブログを毎日書かなきゃいけないの?」
・「なんで掃除なんかしなきゃいけないの?」
・「接客なんて、誰も見てなければ声が小さくてもいいじゃん」
・「企画なんて、いくらやったって売上に繋がらないよ」
と、上っ面のテクニックの部分しか理解しなくなってしまうので、どうしても、辛い壁にぶつかってしまうと、すぐに辞めてしまって、長続きしなくなってしまうんです。

2017/01/13 up
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