I want...

I don't care what people say about me, I just do what I want.
人々が言っていることを気にせずに、私は自分がやりたいことするよ。

お祭り三昧!大集合を見てきた

二本松市は平成の大合併後の新市施行10周年の記念に、『ふくしまDC』の開催に合わせて二本松の秋・冬の代表的な祭りを一堂に会した夢のイベントが開催されました。


二本松の提灯祭り・針道のあばれ山車・小浜紋付祭り・木幡の幡祭りなどの二本松を代表する祭りが一度に見れる今回限りのスペシャルイベントを楽しんできました。


お祭り大集合!を見ようと、仕事が終わったら速攻で、帰宅。


会場に着いたときは、すでに、メインストリートに、小浜紋付き祭りの太鼓台が到着してました。

すべて、逆光撮影になってしまって、私の腕ではもう、お手上げ状態です(笑)

二本松のお祭りは「秋祭り」なので、見ているだけで暑そうでした。若連の皆さん、お疲れ様でした。


小浜紋付き祭り
小浜紋付祭り(塩松神社例大祭)は、江戸時代塩松神社が藩の支配下にあった時、 天明の飢饉の村内の復興のために、領主丹羽氏に、お金を献上して 御紋章三箇所の使用と神輿渡御(みこしとぎょ)が許可され、 寛政元(1789)年から始まりました。祭事中は4台の太鼓台が練り歩きます。


正装をしているので、一番暑そう・・・格調高く、私の前を通り過ぎていきました。



木幡の幡祭り
溯ること約950年前の「前九年の役」で陸奥国領袖の安倍頼良と征夷大将軍源頼義が戦った故事に因って、神仏の加護を崇敬する郷土民が勇壮な平安絵巻を継承してきた祭りです。

目の前を、ゆるゆると、幡の行列が進んでいきます。厳かな感じがして、私は好きかな。それよりも、ご年配の人ばかりで、熱中症で倒れないかと心配してしまいました(汗)

幡行列が有名ですが、出立式も、見応えがあるようなので、ご縁があったら、出立式から、見てみたいお祭りです。
ミラノ万博にも出演だそうです。



幡の行列が過ぎていくと、急に「カンカンカン」と賑やかな音が

針道のあばれ山車
天正13年8月(1585年、戦国時代)に伊達政宗との戦いで針道館(はりみちたて)を守っていた針道 源太(はりみちげんた)が滅ぼされると、諏訪神社も荒廃してしまい、江戸時代の始めに再建されるも、その後、 雷火に見舞われるなどして継続的に神事が行われていませんでした。  後の宝暦8年(1758年、九代将軍徳川家重の時代)になって、当時の針道村内で凶作が続き、疫病も大流行 し、当時の人々は、災いの原因は、神輿渡御を永い間行ってこなかったことにあると考え、神輿渡御を復活させ ました。この時、安積郡大槻村(現在の郡山市大槻町)から、獅子頭を買い求め、神楽を行ったとされています。 その頃、人形を飾り付けた山車、獅子踊りを奉納したのが、この「あばれ山車」の始まりと伝えられています。


私、お祭りそのものは見たことがないのですが、人形は、旧4号線に飾られてあるので、なんとなく、身近なお祭りでしたが!


が!


山車が目の前に突進してきたと思ったら!

ドッゴン!
何が何だか、わからずにパシャッ!
び、びっくりした(笑)

ぶつかった衝撃は、山車の上で転んでいる人の姿を見て想像してくださいませ。
そして、転んでいる人なんか、お構いなしに、山車は、反対側に突進していくのでした。

一番元気に、ドッコン、ドッカンって見せ場を作っていた、ハンターハンターチームの若連の皆さん

そして最後は・・・
暑さと、1万歩近く歩いて、ヘロヘロな私。すでに、無口になっています。写真なんか撮る気力もありませんでした(笑)

二本松の提灯祭り
日が高いうちに、提灯がつくことはないので、珍しい一枚かもしれません。

二本松藩内のお祭りの多くは、提灯をつけた太鼓台が、夜、町内を練り歩くんですよね。なので、秋、偶然に提灯をつけた太鼓台を見かけると、二本松藩って、こっちの方まで影響あったんだとびっくりすることあります。

どのお祭りも、地域の人達に愛されているんだなと思いつつ、郷土愛に一番燃えているのは「小浜」の皆さんだったかもしれません。私のツイッターには、小浜の皆さんのツイートが、たくさん流れてきてました。



 二本松の提灯祭り
針道のあばれ山車
針道のあばれ山車
針道のあばれ山車
針道のあばれ山車
木幡の幡祭り
木幡の幡祭り
小浜の紋付き祭り




2015/05/30 up
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