I want...

I don't care what people say about me, I just do what I want.
人々が言っていることを気にせずに、私は自分がやりたいことするよ。

9月1日は防災の日…3月11日を経験して、少しは賢くなったかな



風景

もしものときの備え、大丈夫ですか?
なんて、書いておきながら・・・311の時、食糧が底をついた我が家。
3月11日は、子供の安否確認最優先で行動しており、子供を迎えに行った帰り、連絡がとれない営業所の人達の安否確認のため、大渋滞の中、福島に出かけ、雪の中、山越えをして帰ってきたため、買い出しは何もできませんでした。
 営業所に到着したら、みんな帰宅した後で、帰宅できたと言うことは何事もなかったのだろうと安堵しました。
 その後の山越えは、道路が崩落していたりして怖かったけど。
 一番、大変な思いをして運転している夫に迷惑をかけないように、自分の不安を押し殺してましたが 途中、立ち寄ったコンビニには、売っている物は何もなく・・・お店が開いていることだけでもありがたかったです。多くの人がそうであったように、たぶん、あの夜、食事を取れなかった人は多かったのではないでしょうか?


風景

2011-09-01の日記を転載

プラントさんの青空市場。店内は天井が崩れていたそうです。
箱売りが飛ぶように売れてました。
この時は、まだ、マスクをしている人もなく・・・


12日はプラントさんで、買い出しして、カップ麺を大量に購入。チンしてたべられるご飯も大量に購入。
1週間くらい乗り切れればなんとかなるでしょ。
まだ、余裕だったんですよね。3月12日頃は。

1週間+アルファ分を購入していたので、食糧が買えなかったという知人達に配ったりもしましたが・・・
1週間で何とかなると思っていたら・・・ガソリンがなくて、買い物に出られない。灯油は切れて暖がとれない。
当事者になって初めて知った。災害って、自分が想像している以上のものなんだなと・・・

備蓄も大切ですが・・・地震時の行動を今一度確認して下さいね。
私みたいに、アタフタしてはダメですよ。


まずは落ち着いて身の安全を確保しましょう。

震災後、夫によく怒られます「動くな!!」と。
 強震の中、歩き回っていた私、その後も、揺れるたびに、冷静でいられず歩き回る私を見て、夫が必ず叫びます (^^ゞ

すばやく火の始末は間違い(できません)

3月11日 揺れている最中に、ストーブを消せ!って夫に命令された私。
震度6弱だったらしいのですが、なぜか、平気で歩き回れたんですよ。
 ※ご近所のおばさまと話をしたら、柱にしがみついていないとダメだったって言っていたので、   どうして、歩き回れていたのでしょう。それも、私だけ(笑)

ストーブに近づいたら、ヤカンの熱湯が、ガッポン、ガッポンとものすごい勢いで飛び出しているじゃないですか。
そんな状態でストーブを消したら、やけどしそうなので、揺れがおさまってから消すことにして、ストーブからは離れました。

あのとき、ストーブが倒れていたら、大やけどでしたね。夫は私が、歩き回っているのを見て、たいしたことがないと思ったのだと思いますが、あのまま、夫の言うことを聞いていたらと思うとゾッとします。

まずは身の安全が一番ですよ。火の始末とかは、揺れが収まってからで大丈夫です。というか、大きな揺れの場合は、身の安全すら確保するのが難しいです。「無理はしない」これも大切だと思います。ほら、まじめだと「しなきゃ」が先にきちゃうから。

安否確認

被災当事者としては、災害用伝言板サービスを利用している余裕なんかありません。
今を知りたいんですよ。
1回目の揺れの最中に、とりあえず、届けと願いを込めて、親族一同にメールをしましたが、届いたのは1通のみ、他の人は、1週間後とか2週間後に届いたそうです。

真っ先に電話が開通したのは私の携帯電話(ソフトバンクのディズニーモバイル)だったのですが、私の携帯電話番号を知っているのは家族のみ。家族の携帯は通じないため役立ちません(汗)。
結局、夫がSkypeを契約して、夫の電話が頼りという日々がしばらく続きました。

放射能も怖かったけれど、やっぱり、地震が一番怖いです。
ひもじい思いを経験してしまってから、お米だけは、多めに用意しておくようになりました。
震災を経験しても、あまり成長していないかもしれません。

2016/09/01 追記
電気も水道も止まらなかったので、それなりに生活ができましたが、どちらも止まってしまった場合はどうなるのでしょう?乗り切れるのでしょうか?自信がありません。

あの当時、親も兄弟も県外に避難してしまい、ご近所さんも、みんな避難してしまい、残っている人は、残らざるを得ない事情がある人ばかりでした。我が家の場合は、夫が、避難するときは、社員が全員避難してからだからねと宣言したため、もう、避難はできないなと腹をくくりました。

残れば、残るで、それなりに情報が入ってはきていたので、何とかなったのですが、、、会社も休みだったので、留守番をしている時は、私はガラケーでテレビを見ていたし。夫はパソコンで情報を集め回っていた。会社の倉庫で子供とキャッチボールをして遊んだり。灯油がないので、日が当たるところに移動して暖をとっていたとか、振り返ってみれば、それなりに、なんとかなるんだなと。

あれから、「大丈夫 なんとかなるから」が口癖になったっけ。

この場を借りて、いろいろと支えてくださった皆様に、お礼申し上げます。
 ご自身も被災しているというのに、お店を開いてくださった皆様
 今日のガソリン状況、今日の食料品販売状況等々のツイートを流してくださった皆様
 そして、困難な状況でも、それぞれの判断で動いてくださった社員の皆様
 取引先の皆様
 右往左往している私を励まし続けてくださった友人の方々
 そしてそして、大すきな私の愛する家族
 ありがとう。

そうそう、お米の備蓄と言えば・・・不安が増大した頃、お米を大量に備蓄したら、虫がわきました (^^ゞ それ以来、お米の備蓄はほどほどにが私のモットーです。

あと、避難所で非難されている皆さんをお世話されていた人達自身も、皆さんのために、お店を開いてくれている人達も、被災者だということを忘れないで欲しいです。どうか、どうか、自分たちの不安を、頑張っている人達に投げつけないでもらえればと思います。最近、ようやく当時のことを語れるようになった方から、あの当時の避難所での出来事を聞くと切なくなります。避難してきた人と比べたら、帰る家があるんだからと、ひどいことを言われても、グッと耐えたよと笑って言われてました。
そしてそんな話を聞きながら、私は、あの時も友人に言ったけど「絶対、避難所だけにはいかない」と誓うのでした。

2016/09/01 up
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