I want...

I don't care what people say about me, I just do what I want.
人々が言っていることを気にせずに、私は自分がやりたいことするよ。

人生いろいろ。いいんじゃない?

花み

こんにちは 花み(はなみ)です。昔の名前で出ています♪


すでに身バレしていると思われるし、SNSは本名だし、、、
サイトも本名でもよかったのですが、「花み」という名前はパソ通時代から使っていて愛着があります。というか、パソ通が私の人生を大きく変えました。


ネット歴だけは長い私


子どもの頃から、パソコンにあこがれ、父が買ってきたPC98で見よう見まねでbasicを組んでみたり、、、、あの頃はあの頃で面白かったよね。記憶媒体がカセットテープですぐエラーになるし。
でも、プログラムは性に合わないと思っているうちに、父が売ってしまいました(×_×)
社会人になって、ワープロ専用機スララを購入。ええ、私、モデムを買ってスララでパソ通を始めました。当時、スララでパソコン化が一部の人にはやっていて、スララでゲームを楽しむコミュとかもあってMS-DOSを改造してスララであそんだりしてました。
でも、ほとんどパソ通でしか利用してませんでした。当時の通信費10万円くらいかかってましたね。シスオペとかしていたので、収入もあったけれど、赤字でしたよ(笑)

ワープロ専用機からの卒業


ある日突然、イラストを描きたくなって、MS-Xを購入。あ、、、スララ購入の前かも。たぶん、同じ頃。MS-Xもまだまだ人気機種でした。そのうち、MS-Xで草の根ネット開局とかって、とんでもないことをしてました。
私のパソ通を大きく変えたのが「Windows3.1」の登場。すぐに買いました。パソ通で知り合った人に、いろんな使い方を教わった。楽しかったですね。

パソ通全盛期


このころは、オフ会にも参加したりして、通信費+東京遠征代と、湯水のようにお金を使っていましたが、幸せいっぱいでした。
夫とはパソ婚です(*‥*)
もう少し、結婚が早ければ、パソ婚一番乗りで雑誌にも取り上げられていたかもしれません(謎)
独身の時間を思いっきり楽しんでいたパソ通時代が、ネット生活絶頂期でした(笑)

インターネット登場


インターネットが日本でできるようになることを知り、BIGLOBEと契約。
文字だけの世界から、画像が入ったカラフルな世界は、うっとりでした。当然、すぐにホームページの作成を開始。子供も生まれて、チャイルドシートのサイトを運営していたら、検索エンジンに登録してもらったりもしました。
サイト運営した頃が第二の絶頂期だったかも。とにもかくにも、いろんなことが目新しくて、楽しかった。当然、まわりはヲタクだらけで、わかんなーいって言えば、すぐに教えてくれる人がいっぱいいたし。天国だったね(笑)ポストペットとかボトルメールとかも楽しんだよ。
そのまま、続けていたら、あのサイト、ものすっごいことになっていたと思いますが、、、そこはそれ、ハード面の問題が起きたりとか、忙し過ぎちゃったりとか、まあ、いろいろあって閉鎖。あの頃契約したドメイン(ここではない)は、今も、使っていますがメール専用ドメインになってます(笑)
HTMLを手打ちしていた頃が一番楽しかったな。そのうち、OSが複雑になってきて、再インストールに時間がかかるようになってきた頃から、パソコンが嫌いになってきた。タグを書いてサイトを運営するのが面倒になってきた頃にブログの登場。まあ、あとは、新しいシステムが出てくるたびに、手当たり次第に手を出しては削除を繰り返す日々。
というわけで、ここも何度目の再構築なんだろうって感じですが、それもこれも、パソコンのことがイマイチわからないところが原因なんですね。
と、長々と、懐かしい昔話を語ってしまいました。年ですなぁ。
(笑)とか(^_^;)\(・_・) オイオイとかの文字が多いのはパソ通の名残です。嫌いな方もいらっしゃると思いますが、顔文字多様は私の特長ということで ヨロシク!

仕事のこと


長女で家業を継がないとダメなんだろうなと子どもの頃からなんとなく思っていた私でしたが、事業をやっていくだけの力がないと判断した両親が求めたのは「お婿さん」
年頃になってくると、うるさい、うるさい。まあ、家業のために結婚してもいいけれど、家業を継げる力がない人とは結婚できないと思っていたのでおのずと男性を見る目は厳しいモノに。どちらかというと男嫌い。
半グレ状態が長々と続きました。オフ会に出かけていく娘を見ては、すぐに、だれか家を継いでくれそうな人はいないの?という両親にうんざり。
とうの昔に、私に家を継がせる気はないんだなぁと気づいていたこともあって、それなら別に家にいる必要もないよね。それじゃ好きにしようと思ったとき出会ったのが、夫でした。人との出会いって、面白いね。
たぶん、私の勘違いから始まったのかもしれないけれど(笑)
何も知らない土地で、知らない仕事だというのに、お婿さんにきてくれた夫に感謝しかないです。振り返れば、あの時のあの言葉は、こういう事だったんだろうなと、今頃気づいたりします。
目の前のことが精一杯で、文句ばっかり言っている私に、時にはキレ、時には家を飛び出しながらも、いまも、私の隣でがんばってくれている夫に感謝、感謝です。
これからも、面倒をかけます。
まあ、いつか、跡継ぎ問題(夫編)でも、公開できるといいです。二代目奥さんの立場で苦労している人と一緒に、いやぁ、いろいろあるけど、楽しいねって語り合えたらいいですね。

資格のこと

民間資格なので、どうでもいいし、もう、時効だろっていうものばかりです。
電卓検定1級(これ、自己紹介の時に話すとウケるので重宝している唯一の資格)
日商ワープロマスター(3年ごとの更新をやめてしまったので名乗っちゃダメだな)
一太郎インストラクタ
Lotusの資格(なんて言ったっけ)
ハクビ着付け講師
ハクビ民事再生により価値がなくなった感 (^^ゞ
どっかの簿記検定準1級(日商は2級)・どっかのワープロ検定1級(日商は2級)
貸借対照表とか勉強したのに、全然、読めません。どんな勉強してきたんだろう。今度、夫に読み方を教わるつもり。
ワープロインストラクタの資格は、出張講師とかの依頼もあって楽しかったですが、MCTあたりになってくると、なんだか、勉強することが苦痛に感じてきて、もう、インストラクタ辞める!って、辞めちゃいました。
私の教えたいパソコンの楽しさとか教えられないんだもん。というか、パソコンに飽きた。
ワープロとか表計算とかを教えていると、日常のこととか、生活していること全てが教えることにつながっていって、それはそれで楽しかったのだけれど。人生経験が少なくて、アドバイスできないことも多かった。
生徒さんの人生相談とか?それ、インストラクタの仕事じゃないんじゃと。生徒さんの人生に関わりすぎると面倒とか(笑) 今思っても、インストラクタ時代は、濃い生活を送っていました。結果、身体も心も壊れました(笑)更年期とか、生活のゴタゴタとか、いろいろあった頃だったので。人生いろいろです。

夫、会社を継がない宣言

父とゴタゴタが起きるたびに、愚痴を言っていた夫。それでも、折り合いをつけてがんばってくれてたけれど、まあ、いろいろありまして。もう!やめる!って言ってきた。そして、「いいよ」と同意しちゃった私。
夫の人生だもの。もう、十分尽くしてくれた。いいよ。やめてもいいよ。好きなことをして生きていこうよ。
311を経験して、私の中で、家業中心から、自分自身に目を向けるようになっていて、家を継ぐことの呪縛が溶けていたので、ホント、ここまでありがとうって言葉しか出ない。
まあ、ここら辺の話も、気持ちの整理がついたら。
とりあえず、跡継ぎ続行になりましたが、、、、
まわりに目を向けても、ちょうど、世代交代時期のようで、どこもスムーズに引き付きは行われないようで。難しい問題ですよね。
たぶん、それまでの、親子関係というのも、大きく影響しているのかもしれないですよね。私の場合は、平等という名の下に、責任も何もなく自由に生きている妹と、自分の自由よりも「家」のことを最優先にしてきた私が同じだと思われていることが納得できない要因の一つでもあるんですよね。みんなが平等であるのなら、妹たちが自由に生きる権利があるように、私にも家は継がずに自由に生きる権利があってもいいはずなんだけどな。私の言い分は一生理解してもらえないようです。
父の「継がせてやっている」と
母の「私がやってあたりまえ」という考え方が変わることがなさそうなので。

お金のこと

働くようになってから、一定額は家に入れていましたが、それ以上は自由に使える独身時代。バルブだったこともあったし、バンバンお金を使ってました。
結婚したら、そんな自由な生活ができなくなった。自分のモノは何も買えない。生活するだけでいっぱいいっぱい。赤字補填は独身時代の貯金を切り崩し。夫にお金はありませんって言えずに、いつもブツブツ言っていました。
お金の話になると、毎回、夫婦げんかです。
ある日のけんかの時、家計を夫に任せることが決まりました。私は一ヶ月の食費代だけをもらうことに。その日から、少しずつ、お金に対する考え方も変わってきたと思う。結局、私のやりくりベタが原因だったようなんですね (^^ゞ
すべてを夫に投げてしまったら、楽になりました。
まあ、これは賛否両論あると思うけれど、いつもお金のことでギスギスしているのがいやだなって思ったら、ギスギスしちゃう分は夫に投げてみるのもオススメです。以外とやりくり上手かもしれませんよ。
今は、子どもが手元から離れたので、食費代減額宣言をされたとき、無理!最低限これくらいもらわないと無理だから!と、3万円減で手を打ってもらいました。
最近は、夫のやりくりがうまくいっているのか、結構、夫のオサイフから支払ってもらうことも多くなってきました。
ああ、お金が足りない、お金が足りないって言っていた頃は、ホント、お金に人生が左右されていた感じですが、最近は、自分の人生を豊にするためにお金ってあるんだなぁと。
マス層ですが、別に困ることもないので、幸せなんだろうな。とは思っています。夫は脱マス層って言っているので、がんばってねと応援しますが、今で満足しているので、たぶん、足を引っ張るのは私かもしれません。

縁を切る

とりあえず、跡継ぎ続行になりましたが、私の中では、もやもやが溜まる一方
もしかすると、私のもやもやが伝染して、夫がすぐに切れるようになってしまったのかも。
家に帰って来るなり、理由もなく、夫がもう人生止めるみたいな感じの事を叫んで、は?って事があったり。いや、何もかも渡すから、離婚する!って言ったのだろうか?怖くて聞き返せないでいる (O_O)
ウチの両親は、その後も、自分たちの何が悪いのかを理解できていないし(たぶん、私たち夫婦のワガママくらいの感じ)、そうこうしているうちに、母が入院(現在、延命治療中)
私の中の、いろんな、もやもやが、大爆発して「縁を切る」宣言
その後、宙ぶらりん状態が続いている。
いつまで、続くのかなぁ。

自由に生きる ←いまここ

夫が、私の精神状態を理解して、私を通さずにいろいろと話をしてくれて、ようやく退職することができます。
家を継がない=縁を切るということなので、退職するときには「財産放棄します」って一筆書いていこうとは思っていました(法的なものはないとしても)
が、父から「財産放棄するように」って言われました(笑)
もともと、そのつもりだったので、別にかまわないのですが、やっぱり、最後まで、私に対しては、やってやっているという考えからは変わることがなかったんだなと
孫との縁だけはと言っていたけれど、財産放棄ということで、子どもにも一筆書かせることになるわけで。そうなると、今までのことを、全部、話すことになるわけで。
夫は、財産放棄のことは、妹たちと話した結果なのかと聞いたけれど、話し合っていないような(謎)。夫が妹と一緒に読んで欲しいと渡した手紙も妹たちと読んだのかどうかも謎だけど。
夫が書いて渡した手紙の内容は不明だけれど、私のことを理解してくれているのはやっぱり夫。ほんと、ありがとう!

所詮、父は「跡を継がせてやっている」私は「継いであげてる」という思いからのすれ違いで、お互いいろんな打算があった結果なんだと思います。

ようやく、ようやく、自由の身です
万歳!
なんども、なんども、反発し、引き留められ、自分の心を偽って生きてきましたが、
ようやく、開放してもらえました。

開放してくれて、ありがとう



今回の騒動については
心の整理がついたら、しっかりと、記録に残しておきたいと思います。
家業をつごうかどうか悩んでいる長女の皆さん、
お婿さんに家業を継いでもらおうかどうか悩んでいる長女の皆さん
そんな、甘え下手な長女の皆さんへ、
私のようになるまえに、決める前に、こんな実例あったよって、ちょっと、立ち止まって、考えてもらえるような話にできればいいな。
ちなみに、家業を継ぐ必要がなく、お婿さんを取って悩んでいる長女さんや、そもそも、自由気ままに生きてきた妹の皆さんには理解できない話なので、反論等々はお受けするつもりもありませんよ。
立場の違いは、超えられないんです


今、その話を聞きたいと言われても、いまは、ちょっと、無理なんですけどね
精神的に、まだ、復活できていなくて(笑)
今は、とにもかくにも、
開放してくれて、ありがとう!!って、叫んでおります
こんなことにならないと、手放せなかったのが、残念だったけれど、
これから、毎日、実家の前を通るたびに、罪悪感を感じるかもしれないけれど(親不孝しちゃったなって)
だから、「ありがとう」って


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画像について


当ブログで利用している画像のうち「Photo」に掲載している画像は、私(花み)が撮影したモノです。パソ通時代の影響もあり、ネットで著作権が~とか騒いでも仕方がないっていう考えなので、私が撮影した画像に関しては、とくに制限はありません。
ここの画像を利用しましたってリンクしていただければありがたいですが強制もしません。
というか、センスゼロな画像ばかりなので、こんなの利用する?その程度です(笑)
ちょっと、著作権云々についてふれてみたかっただけです(^^ゞ
⇒ ご利用になられる場合は、こちらも確認ください

お問い合わせ

お問い合わせも何もないよね。
そのうち、お問い合わせフォームを作ろうと思いますが、コメントで残してもらえるのが一番です。
めんどくさがりで、オタクですが、こんな私もステキって思ってもらえるように、楽しく更新していくつもりですので、頑張って読んでくださいね。

2016年11月20日
2017年10月23日追加
2018年2月17日追加
2018年2月19日追記


*ホームページ作成ソフトとOSの相性が悪くなり、放置してました(汗)
*ブログとかツイッターとかやってましたが、ツイッターもめんどくさくなったのでアカウントを削除したり、フェイスブックも楽しくないので辞めたり。なにもかもが面倒で削除しまくった。
*Bind7で作成始めたのですが、レスポンシブなサイトじゃないとダメだよとか、HTTPSにしないとダメだよとか、ホームページそのものの基準が変わる頃だったため、サイト運営そのものが面倒になって、さらに放置することに。
*ロリポップで無料でHTTPSが利用できるらしいので、重い腰をあげた。
*ワードプレスとロリポップの相性が悪いため、エラーが多く、ロリポップスタジオで作ることにしました。ロリポップスタジオってBindだったので、あまり期待しないで使う予定(笑)
*そういえば、グーペを使っていたときも、システムはBindっぽいなって思ったけど、そうなのかも~。あのシステムであの料金はちょっと趣味で利用するにはハードルが高いというわけで1年で解約した(^^ゞだけど、Googleにすぐ検索されるようになったのでグーペスゴイって感じた。そこは評価できます。
*ロリポップスタジオが使いにくくて、bracketsを使いながら念願のレスポンシブデザインページに作りなおし中←今ココ
*1963年10月生まれ
ところで、何才なの?って聞かれて、えっとーーー1963年生まれですと答えている私。
そもそも、年齢を聞かれることがあまりなくて、40才を過ぎてから、自分の年がわからなくなってしまった。
周りの人に対しても、20代とか30代とかっていうくくりでは見たりしますが、何歳かはあまり気にすることがないです。聞いてもすぐに忘れるので
夫の年も、子どもの年も、あまり気にしたことがありません。
ハッ!無関心すぎかも


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